わたしのこと

時々わたしのことを質問されるので

書きます。

 

そもそもなんで仏画を? というと

2006年に当時仕事の相談をしていた

とある宗教の代表の方が

(その方は降りてくるものを感じる人でした)たまたまわたしが初めて描いた仏画を見て(詳細は省きます←省くんかい!)

『仏画を描けって上(天)が言ってるわよ』と言われたのが始まりです。

そのときは「仏画? なんですかソレ」だったのですが、「これだよー」と仏画の画集を見せられた瞬間、すごい衝撃を受けまして(よく言いますよね、後頭部をハンマーでなんちゃらって)それをきかっけに描き始めたのでした。

そして、そこからいわゆる「スピリチュアル」な経験が進み(7~8年前までは「ガイド」という言葉も知らなかった)、オラクルカードを創ったりイベントに出たりを経て

2016年の秋からガイドセッションを始めるに至ったのでした。

 

これからちょっとずつ、自分のことや自分のやってることについて書いていきますね。

わたしは自己開示が下手なのですが、なんや「書いたほうがいいぞ」的な感じがあるので。

読んでもらえたら嬉しいです。

 

なんか、写真のネコの気分で書いちゃったニャー。

 

皆さんもごろんと、気楽な気分で読んでくれニャー。

 

 

0 コメント

2次元世界とリンク

最近、なんだか気がふさぐなーと思い、

花粉症かな? いやいや腰痛のせい? 

 なんて思ってたのですが、違いました。

 

30年以上見てきたある物語の登場人物が亡くなったのです、2人も。

 

「いやいや、それソーサク世界やろう?」

と思いますでしょ?

私もそう思ったですよ、でも違ったですよ!

 

この寂寥感、心に風が吹く感じ、やばい涙出る。

2次元(創作)の人だけど、知りすぎた!(いかんせん30年・・)

 

 アカン!! お葬式せねば!!

 

というわけで一人部屋でお香をたいて、冥福を祈る。

 

「ナル〇ス、アル〇〇ー〇ありがとう・・」←(悲しくて書けない・・けど有名な作品なので、わかる人にはわかるはず)

あーん、二人とも死ぬには若い、若すぎるよおー 涙

 

ところで、

わたしは、2次元というお話世界は異次元で現実に存在していると思っています。

こちらの次元の人があちらの次元の現実にアクセスし、「物語」として発表しているって

ことです。

そうすると説明つくことがいっぱいあるしね。

 

そして、人によっては無限に広がる次元にアクセスしてその扉を開けてしまい、

自分の寿命のほうが先に尽きてしまうこともあります。

(そして書く側がいなくなっても世界は拡大を続け、止まることがありません。

・・そりゃあ、人間の身体じゃおっつかないわー)

 

夢で見る不思議な世界もそうです。

時間も空間も超えて中身だけがいろんなところにお出かけしているのです。

 

ちょっとそれましたが、この次元は2次元とリンクしているんですっていうお話でした。

 

0 コメント

スピでも何でもなく私の気持ち~天が大事にするもの~

 

○○をやったらえらい、▼ができないからダメダメ。

ここ最近、ずっとそんなことを考えてぐずぐずしてました。

スピ系のこともやらなくちゃいけないのに、ぐずぐず。

 

で、今日。

そんな自分責めの気持ちの底に潜む本当の気持ちに

気づきました。

それは・・

 

もうがまんしたくないんだ、今までのこと続けるくらいならだらだらぐずぐずしていたいんだ!

ぐずぐずする気持ちだって尊いわたしのものだ――――!

あらゆるアイデンティティを取り払った底の底の底に在る

人間としてのわたしの気持ち!

 

抵抗、自分責め、欲求、許されない(と思っていた)態度、選択、感情・・

そのすべてが人としてのわたしだったとわかり、愕然・・。

何やってるから偉いとか認められるとか・・・

 

関係なかった!!!!デス!

 

この世に生まれた以上、何があっても人として生きる。

そして天は、神様は、なにをおいても

 

人として一個人のわたしの気持ちを一番に大事にする

 

ことをゆるしてくれているのだとわかりました!

 

たとえ今苦しんでいたとしても

それすら尊重してくれている。

なぜなら、わたしの気持ちがいちばん大事だから。

 

そしてそれがわかった以上、自分の気持ちを大事にしないわけにはいかなくなる。

人生って、そういうものなんですね。 涙

 

天、神様、ありがとう。

わたし、ありがとう。

世界、ありがとう。

 

 

何をコイツは突然わけのわからないことを~と思われたかもしれませんが (^-^;

でも、確信があったのでかまわず書くと、

見返り無しに、それこそ捨て身で自分を大事にすると、

「それが正解です」

と言わんばかりの思ってもいなかったことが起きるんです。

それも気のせいかな? って感じじゃなく、明らかに「天が動いた!」てわかる感じの。

 

で、自分を大事にするって自分の気持ちを損得無しで優先すること=「私に応える」こと

らしい。(半年前も同じこと書いたな・・ 汗)

 

もっともっとやってこう。

 

 

0 コメント

新しい時代へ~天が門を開く~

「臨床宗教師」の記事を読みました。

こちら

 

余命宣告された患者さんにスピリチュアルの視点から寄り添うという、まったく新しいお仕事だそうです。

 

死ぬことの恐怖とは「死んだらすべては終わり、自分もいなくなってしまう」という暗闇の気持ちですが、そこに寄り添い「死んだ後も次の世界(極楽)があるから大丈夫」と気持ちが変化することによって死に対する恐怖を取り除き、安らかな死を迎えるお手伝いをする。

 

 

画期的だと思いました。宇宙はあっという間にここまで門を開いたのかと驚きました。

 しかも特集としてとりあげたのがNHKというところ、さすがだわ! と思う。

(わたしはNHKびいきです 笑)

 

以下抜粋です

 

入院から9日後。
体調が悪化する中、松岡さんは自分が見た夢のことを話し始めました。

松岡君子さん
「たぶん阿弥陀(あみだ)さま。
私が見たの阿弥陀さま。」

娘 歩さん
「前に夢に出てきたお釈迦(しゃか)さま?」

松岡君子さん
「お釈迦さま。
みんなが後ろに立ってるから、きっとみんな私を。」

臨床宗教師 野々目月泉さん
「いっぱい立ってました?」

松岡君子さん
「一体となってね。
パワーが光っていたと思う。」

“お釈迦さま”や“光”という言葉を、野々目さんは死を迎える準備が始まったサインと受け止めました。
患者が死後のイメージを持つことは、穏やかな死につながる重要なプロセスであることが学術的な調査でも明らかになっています。

死に直面して、恐怖や不安を抱く人の場合、死の先は暗闇、死ですべてが終わると考えていることが多いといいます。

一方、天国、極楽に行ける、光が見える、故人と再会できるなど、なんらかのイメージがある場合は、死によって命は終わらないのだと考えることで穏やかに最期を迎えられるというのです。

 

宗教関係なく、というのもすごいと思います。

天の意思を、その垣根を、ついに超えたか人間! という気がします。

(実際、天に宗教というものはなく、洋の東西を問わず同じ場所に現れたりします)

 

そして、私の仕事も似ているのかもしれないなあと思いました。

わたしは人さまに寄り添うなんてとてもできないけれど、今やっている仏画やセッションは

「あの世、見えない世界というものが確かにあるんだよ~」と伝えることだと思うから。

それがセッションかろうが仏画を通じてかろうが、お話会かろうが手段はどれでもよくて。

いろんな人や手段を使って、天は新しい時代の門を開いている、と実感いたしました。

 

わたしは天然で↑のような考えなのですが、この「自分にとっての当たり前」が誰かの役に立つと

いいなと思います。

 

2013年に「自分の使命を軽んじてはならない、もっと重要なものとして捉えなさい」と

いうメッセージをいただいているのだけれど、こういうことかもしれないと実感しました。

 

0 コメント

スタジオ・ジブリ展

少し前ですが、静岡市美術館で開催していた「スタジオ・ジブリ展」に行ってきました。

最終日だったのでとても混んでいて、券を買って入るまで

ループをぐるぐる巡り、40分くらいかかって入場。

最初から見ているとちっとも進まないので、いいや! と思い、

好きなところからどんどん見ていきました。

(案内のおねーさんもそう言っていたので)

圧巻だったのはその量と、絵のすばらしさ!

アニメはドラマの撮影現場と同じと聞いたことがありますが、

やはり絵だけの展示とは全然違い、絵を見ているというより

そっくりそのまま2次元の世界がそこに在り、まるで物語を

のぞかせてもらっているようでした。

ジブリってやっぱりすごいなあ、アニメって素晴らしいなあ・・!

感無量・・・・・。

 最後のほうに最新作「レッドタートル ある島の物語」の絵もありました。

こちらも観に行きたいです。

きっとわたしはこうやって一生アニメや漫画を見続けるのだろうなあ。

ぐふふ、楽しい♪

日本人に生まれた甲斐があるというものです。 笑

 

0 コメント

A.coronariaさんのイヤリング

A.coronariaさんのイヤリングです。

自分、ショートヘアなので大きすぎるかなあ・・と思いつつ、あまりに気に入ったので

(羽根とか皮とか石とかデザインとか・・(*^_^*) )注文してみたのですが、つけてみたら 

大きさもバランスもちょうどよくて、びっくりしました。

さすがアクセサリーショップの店長さんを長くやっていらっしゃるプロだなあ~、すごいなあ(^^♪

 

おまけにポストカードもつけてくださり、嬉しい~♪

 

この方は大好きなブログ「ヨメが勝手にアラームを止めちゃうんです」の作者さんでも

あります。

わたしはふだんアクセサリーはまったくといってもいいほどつけませんが、ステキな作品ばかり

なのでずっと気になっていて。

モニター期間が終了した自分ご褒美に買いました。

 

これつけて、どっか遊びに行きたいなあ~♪

 

minneサイト  A.coronaria

 

 

 

0 コメント

お釈迦さまの掌の上~とりこぼし無し~

 

「自分の中に仏を入れるのではなく

 仏の中に自分を入れよ」

これ、去年末にご本尊さま(お釈迦さまです)が

来てくださったときにいただいた言葉です。

意味が分からずしばし考えました。

しばらくしてこれかと思ったのは

「お釈迦さまの掌の上にいるから安心してください」と

いうことでした。

孫悟空ってことです。

 

winwin大好きな天は、取りこぼし無しにしたいみたいです。今まではそうじゃなかったけど、今度のチャンス

(と思っているもの)では、全部救いたいと。

そのためのヒントが「歓びでつながるwinwin」だと

いうことみたいです。

 

どこまで行ってもお釈迦さまの掌の上・・。

今思ったのですが、仏さまの手のポーズは「すべてを受け止め」「すべてを救う」

与願印(左手)と施無畏印(右手)。

あれ? 昔っからおんなじこと言おうとしてる??

天、何度も挑戦してる? 根気よく、人を救おうとしてる??

 

なんかキレイにまとまりませんでしたが、また何か浮かんで来たら書きますねー

  

0 コメント

しあわせであればいい

50年近く生きてきて、

しあわせになる才能ってこれかな、と思うことがあります。

それは、仕事ができるとか、何かの才能があるとかそういうことよりも(それもしあわせのツールかもしれませんが)、人として

素直だったり無邪気だったり、少しの喜びをかみしめたり感激したりする感性じゃないかなあと思うのです。

「わーい!」と飛び上がって喜ぶ、小さなことでも「神様ありがとう♪」と感謝する、

人のアドバイスを素直にやってみる(ちょっと勇気もいりますが)、単純に前向きだったり

「30点の自分でも、ま、いっか」と大目に見る。

「よっしゃ!」と小さくガッツポーズをする。

 

きっとそんなことの積み重ねが、知らず知らずのうちに、その人をしあわせに導いて

いくのだと思います。

ふと浮かんだのですが、

 

「やってみたー♪」

「できたー」

「よかったねー♪」

 

そういうのと似てませんか?

これって、子供のころのお母さんとの会話そのものですよね? 

誰でも似たような思い出があると思うんです。それを、そっと懐から取り出して

そうだったなあ・・と思い出してみる。そうすると、ちょっと心が温かくなる。

 

そんなところからしあわせの「し」が始まるのかなあ、なんて思います。

 

0 コメント