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シゴノセカイ

 

きのうのセッションで「人は死んだらどうなるのですか?」というご質問をいただきました。

その方は死ぬということに恐怖を持っていて、死後、自分がどうなるのか考えると

怖くてたまらなくなるとのこと。

おりしも、昨夜NHK「歴史秘話ヒストリア」(「京都で旅する地獄と極楽」)で似たようなことを

取り上げていて、へえ~と思ったのですが。

 

わたしが受けとった感じでは 

 

人は死ぬと身体を抜けます

 

その際、段階を踏んでこの世とお別れし、次の世界で今生(今回の生)の清算をします

 

魂の願いはさらなる成長なので、次の生の準備をします

 

次の生の内容選択はいろいろありますが、(人に転生、天界に残る、お役目をするなど)

 

転生する場合はさまざま必要な条件(たーくさんあるのです)を選び、最終的に

 

OK! と許可印のようなものをもらい(イメージです)、晴れて転生します

 

その際、あるゲートをくぐるのですが(イメージです)ゲートをくぐった瞬間

 

転生する前のことは全て忘れてしまう取り決めです

 

 です。

 

わたしはと言うと、「魂は死なない」「死ぬのは魂が別の次元に移動するだけ」

「次があるから心配ない」つまり「自分(魂)というものは無くならない」という考えです。

 

もちろん若くして死ぬのは嫌ですけど(汗)、ある程度の年齢に差し掛かってきたら自分の

死も自然なことと思っています。

 

この、「死ぬのが怖い」という思いはわりと大勢の方が持ってらっしゃいます。

 ただ、死ぬのが怖いとおっしゃっている方の「恐怖」ってそういうことじゃないんですよね、

きっと。

 

ということで、NHKの話に戻ります。

 

 「歴史秘話ヒストリア~京都で旅する地獄と極楽」の内容は

この世の栄華を極めた平安時代の貴族、藤原道長(歴史の教科書で有名ですよね~)は

生きている間にライバルを蹴落としてきた罪悪感から、死んだら地獄行きでは? という恐怖に

かられます。

極楽に行きたい一心で早々に現役を引退&出家。読経三昧の日々を過ごしますが(今でいう終活?)

結局最期まで安心できないまま死を迎えます。

その様子を見ていた息子頼通は、父親の轍を踏むまいと、極楽往生を目指して極楽に似せた

荘厳な寺院を次々建立、心安らぐ仏画や仏像を見て極楽をイメージトレーニングし、安堵の表情で

亡くなります。

 

そして番組ではもう一人、源信というお坊さんが出てきます。

源信は身分は低いものの、賢い母親の教えに従い幼い頃より寺に入り、精進努力の末

高野山の高僧になります。

しかし母親に

「自分は地位の高いお坊さんになって欲しかったんじゃない、苦しんでいる人々のために働く

お坊さんになって欲しかった」と言われ、ショックを受けた源信は自分の考え違いを反省します。

数年後、母危篤の知らせを受け源信が駆けつけると、源信の改心を聞いた母親は源信の思いを

受け入れたのち思わぬことを口にします。

「死ぬのが怖い」

驚いた源信は、子供のころ母と一緒に訪れたお寺の様子を話して聞かせます。

「阿弥陀如来さまが描かれた極楽の絵を思い出してください。あの美しい場所に母上は行くのです。

何も怖いことなどありません」

それを聞いた母は

「わたしもあの場所に行けるのですね。何やら気持ちが楽になりました」

と安堵の表情を浮かべ静かに息を引き取ります。

 それ以後、源信は世の中の人を極楽へ導くにはどうしたらいいか? 安らかな死を迎えるには

どのようにしたらいいのか考えはじめます。

そして、誰もが極楽をはっきりとイメージできれば母のように極楽に行けると考え、

あらゆる仏典を参考に、極楽を詳細にイメージした本を書き上げます。

その名も「極楽要集」。

その内容は実に詳細で、たとえば

 

仏の髪の毛は84000本あり、そのすべてが右回りで上を向いている

 

仏の舌には5つの文様があり、笑って動かせば5つすべてが光を発する

 

など、仏だけでも42の項目がありました。また地獄に関しても詳細に記し、

地獄がいかに恐ろしい場所かわからせ、極楽へ行きたいという強い願いがわくようにしました。

 

源信は身分の上下関係なくあらゆる人々を極楽に導く! のを己の使命としたのですが、

じつは最近、源信のやったことと同じようなことが日本でも行われ始めています。

 

以前ブログ「新しい時代へ~天が門を開く」でも書いた「臨床宣教師」というお仕事。

「宣教師」という言い方をしていますが宗教は一切関係なく、余命宣告された患者さんに

スピリチュアルの視点から寄り添うというまったく新しいお仕事です。

 

 死ぬことの恐怖とは「死んだらすべては終わり、自分もいなくなってしまう」という

暗闇の気持ちですが、そこに寄り添い「死んだ後も次の世界(極楽)があるから大丈夫」と

気持ちが変化することによって死に対する恐怖を取り除き、安らかな死を迎えるお手伝いをする

  

安らかな死を迎えるためには極楽や仏さまのイメージトレーニングが大事で、それによって

自分の死を受け入れる準備をするのです。

 これはまさに源信が行ったことと同じだと思いませんか?

 

「 死ぬのが怖い」の心理の裏には「自分が消えて無くなってしまう」という、強い恐れの

気持ちがあると思うのです。でも、それだと怖くなるのは当然です。

人は誰でも

 

「自分」という「個」が存在して、生きて、活動している、われ思うゆえにわれあり! 

 

が普通ですから。

 

なので、どうしても死ぬのが怖い、恐怖の思考から逃れられないという方は、源信の考えたような

極楽往生のイメージトレーニングをなさってみるのも1つの手(?)かもしれません。

 

実際に極楽をイメージできるお寺めぐりができれば何よりですが(時間やお金があれば)

それができなくても方法はあります。

 

ありがたいことに、現代は極楽や仏画、仏像の画像がスマホやパソコンで簡単に見られますので、

「極楽 画像」「仏画 仏像 画像」など、見たいものの後に「画像」と入れて検索すれば

出てきます。

ほかにも本屋さんで仏教関係や寺院の写真集、仏画集などを購入することもできますし

(アマゾンで中古なら安いです)、近くの図書館に行けば美術コーナーに置いてあります。

サイズが大きい本が多いので本当に美しいです。

(持ち出し不可の本でも、好きなページをコピーしてくれるサービスもあります→いちまい

20~50円くらい)

 

「仏画」「仏像」が目に見える形でこの世に出現しているのは神仏が己の役目を

果たしやすいようにするためというのがありますが、人のほうから求めて形になった

(自分が天国に行きたいからお寺作っちゃう!)という点でも、この世はうまくできているなあと

(不遜ながら)思ってしまいました。

 

 トコヨもシゴノセカイも、つくづく神仏は人を救いたいのですね。